歌川広重 名所江戸百景 のなかの一枚に、
第87景「井の頭の池 弁天の社」 安政3年(1856年)があります。
左ページがその絵です。(右ページは「井の頭の池 弁財天の社 雪の原」)
三代将軍家光が名前をつけた井の頭池は
江戸の人々の人気の場所であったと言われています。
その井の頭池には今でも≪弁天様≫があります。
元弘の乱(1331年)で焼失しましたが、
本殿は昭和になって再建されました。
御堂は1197年(建久8年)に源頼朝が東国の平安を祈願してお堂を建立したとされています。その後1924年(大正13年)の火災などにより何度となく失われており、現在の御堂は1927年(昭和2年)に再建されたものです。
江戸時代に寄進された石灯籠や記念碑は多数残っており、
寄進した人たちの名前が今もはっきりと刻まれています。
広重の絵の背景に描かれている山並は
日光連山の可能性が高い…と考えられています。
日光は家康が祀られている山でもあり、
この浮世絵が描かれた前年…
安政2年10月
江戸はマグニチュード7を越すと想定される
巨大地震に見舞われ、甚大な被害を受けました。
広重は
弁天様と日光を描くことで
平安を願う気持ちを表現したのかもしれません。
約150年が経った今も、同じように…
井の頭の池に佇む弁天様にお祈りをいたします。
皆が愁眉を開ける日が一日も早くきますように
参考書籍「井の頭公園」/ぶんしん出版
よしひろ様ご指摘いただきありがとうございました。改めて確認し、訂正させていただきました。
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誤解を招く表現があるように思います。
>元弘の乱(1331年)で焼失しましたが、
>本殿は昭和になって再建されました。
この文章をそのまま受け取れば、南北朝時代から約600年間、弁財天の社は焼失したままだったと誤解されるのではないでしょうか。
現社殿の再建は確かに昭和初期ではありますが、それは関東大震災による倒壊後の再建ということです。
訂正されたほうがよろしいかと。