大正8(1919)年11月、玉川上水の急流に落ちた児童を救おうとして、教員(訓導)であった松本虎雄氏が川に入り命を落とされるという悲しい事件がありました。
この殉難から100年が経過し開催された「松本訓導殉難100周年講座」に参加しました。
いのけん一級合格者の会「あか井の」主催の「松本訓導殉難100周年講座」は30名の定員が満席となり、年月を経ても関心の高いトピックであると感じました。
講座の前半は講演会。松本虎雄氏の妹の御子息である松本吉見氏(写真左)から事件当時や反響についてお話を伺いました。
当時、井の頭公園は開園まもなく人気の遠足地だったこと、公園の外を流れる玉川上水は現在の15倍もの水量があり事故も多く「人喰い川」と呼ばれていたことなど。現在の静かでのどかな雰囲気とは全く異なる場所であったようです。
また、武蔵野大学教授で書写書道を専門とされる廣瀨裕之先生(写真右)からは、石碑についてご説明いただきました。
松本訓導殉難碑は、一流の石材である仙台石を用い、中国の伝統形式に則って岡田起作(本文の書家)、井亀泉(石工)という名人が手掛けられた優れた作品であるとのことです。
講座の前半はフィールドワーク。あいにくの雨降りでしたが、松本虎雄氏が殉職された場所に建てられた殉難碑を訪問し、献花を行いました。
右下の写真は殉難碑の刻字。「食人川(人喰い川)」とあるのが読めます。
殉難碑にまつわる様々なお話を聞いた後では、これまで何気なく眺めていた碑が少し異なって見えてくる気がします。
松本訓導殉難碑は、井の頭公園の西側、万助橋の近くにあります。公園を散策されるときに、足を延ばしてみてください。