太平洋戦争中の昭和19年11月24日…
現在の都立武蔵野中央公園付近にあった軍需工場”中島飛行機武蔵製作所”を目標に、米軍のB29爆撃機による空襲がありました。
これは首都圏初となる空襲でした。
その後計9回にわたる工場への空襲により、周辺住民を含む多くの方が犠牲になりました。
戦争の悲惨さや平和の尊さを次世代につないでいくための平和事業を実施しています。
11月24日(土)/13:30~ スイングホール(申込終了)では
平和を武蔵野から世界へ ~ピースむさしの2012~ と題した講演会が行なわれます。
また、関連したパネル展も先日から開催されています。
11月16日(金)~22日(木)
武蔵野市役所 1階ロビー
8:30~17:00まで/11月22日(木) 午後16:00まで
八幡町コミュニティセンターがある付近はかつて中島飛行機の病院があった場所で昭和19年12月27日の空襲で焼失しました。
中島飛行機株式会社は太平洋戦争中は零式艦上戦闘機(ゼロ戦)をはじめ、陸海軍機の発動機を生産する国内随一の航空機メーカーだったため、米軍による攻撃の最大の目標となりました。
かつては中島飛行機のグラウンドだった武蔵野陸上競技場は、戦時中にはスタンドの下が防空壕とされ、高射機関砲が設置されていたそうです。
男女学生が学業を中して工場での生産労働に従事しました。
武蔵野の空襲にちなんだパネルの展示や、関連資料の配布を行います。
約70年前、太平洋戦争末期の武蔵野を知りましょう。
※パネル展示は武蔵野プレイスのものです。
■戦争体験記録集第二集が発行されます■
平成22年に発行された「武蔵野から伝える戦争体験記録集」が大反響のため増刷決定!!
12月3日(月)~ 市民活動推進課と各市政センターで無料配布されます。